当ページを立ち上げた日 令和05年11月30日(木)
■ キッシンジャー氏死去、100歳 ニクソン訪中で「忍者外交」 ■
上記は、今日の東京新聞の記事です。
漸く、くたばったか!
と言う思いです。
こんな言い方をすると死者に対して失礼だ。
と思うでせう。
その通りです。
分かっていて敢えて失礼な言い方をしています。
何故なら、キッシンジャーは、中国を起こしたからです。
中国が傍若無人に振る舞う土台を作ったのがキッシンジャーです。
チベットを侵略し、ウィグル自治区で人権弾圧し、内モンゴル自治区で民族意識を奪い、
南シナ海で他国の領海に軍事基地を作り、尖閣諸島の領海侵犯を繰り返し、台湾侵略を画策してる、それが中国です。
更に彼は日本に対して厳しかった。
ドイツ系ユダヤ人の癖に日本に厳しいとは通常無い。
ユダヤ人は、日本人のお蔭で命を拾った人が結構居る。
だから一般的にユダヤ人は、日本に対して友好的である事が多い。
それなのにキッシンジャーは、反日、親中だった?!?
1971年に当時米国大統領補佐官だったキッシンジャーが中国を電撃訪問した。
それを日本の馬鹿なマスコミ共は(今も日本には馬鹿な反日左翼が多い)、日本を無視した頭ごし外交等とほざいていた。
米国は、日本なんか屁とも思わずいつも自分の思い通りにやるのが分かり切っていたのに何を勘違いしてるのか、と私は不思議だった。
それに輪を掛けて馬鹿だったのが、田中角栄だ。
角栄は、1972年に日中国交正常化を断交した。
台湾を捨てて。。。
台湾を捨てて、中国を取った角栄。
非常に有能で馬力のある総理大臣で未だに人気がある。
それなのにあんな馬鹿な決断をしたのだ?!?
米国でさえ、中国と国交正常化を果たしたのは1979年だ。
それなのに日本が1972年だから、米国は間違い無く怒った筈。
そしてどうなったか・・・?
角栄は失脚した。
ロッキード事件によって。
その発端を切り開いたのは、立花隆だった。
米国ロッキードからの航空機購入で角栄が賄賂をもらったと言う記事で、角栄は退陣に追い込まれた。
どう考えても一人の日本人記者が知りえない内容を立花隆は、何故知ったか?!?
これは、私の想像だが、米国政府筋からの漏洩だろう。
その片棒を担いだのが立花隆だと思う。
恐らくあの騒動は米国政府の復讐だろうと思った。
1972年、当時のニクソン大統領が訪中し、中国発展の道筋を開いた。
そしてニクソンは、言った『フランケンシュタインを起こしたかも知れない。』と。
その通りになった。
それもこれもキッシンジャーが中国推しだったからだ。
しかし、キッシンジャーは、最後まで反省した様子が無かった。
棺桶の中でうなされてるだろう。
令和05年11月30日(木) 22:16pm(日本時間)
■ 14年振り ■
最後の気まぐれ草紙が平成21年05月16日(土)でした。
それから 長い長い月日が流れました。。。
約14年振りに書いています。
現在当HPの修復作業中です。
幸い過去のニュージーランドドリームのファイルは保存されていました。
でも、至る所が痛んでいたり、穴が開いていたりで、大掃除と大修理をせねばなりません。
全部の修復作業が終了してから気まぐれ草紙を書こうと思っていましたが、想像以上に時間の掛かる作業です。
何と言ってもこのHPには恐らく100ページ以上あると思うので全部修復(リンクを正したり、廃止や非推奨に成った html を修正する等)には、
相当な時間が掛かります。
私は、今年の1月に北海道に帰って来て仕事を始めたので、夜しか作業出来ません。
そんな訳で修復をし乍ら、適時な情報発信も始めて行きたいと思います。
従い、遅々として進まないのが実情ですが、遣り甲斐があります。
今夜はこれにて失礼。
令和05年11月29日(水) 22:06pm(日本時間)