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苦闘編
当ページの設置日 : 平成16年04月22日(木)
ニュージーランドへの道(苦闘編)
仕事と生活に最低限必要となる物だけを揃えました。
他の余分なものは一切有りませんでした。
テレビもCDプレーヤーも無し、ビデオなんて到底ありませんでした。
そのような最低必要な品物を揃えて、いよいよ仕事です。
しかし、仕事と言っても開拓から始めなければいけません。
確たるものは何も無く、着の身着のままで飛んできたわけですから、英語で言うと 「from scratches」と言う事に成ります。
日本に居たとき話をつけてきた商品の買い手の開拓をしました。
私の最も苦手な飛び込みをやりました。
お客さんと話をして、見積もってくれと言われて、見積書を出しても価格が全く合いませんでした。
注文を取れる水準まで落とすと、殆ど利益は取れませんでした。
そう言う手探りの暗中模索状態が数ヶ月続きました。
寝る時は、如何ともし難い心細い不安に襲われ、家族はどうなるだろうかと言う心配に襲われました。
しかし、それでも毎日やるべき事を自分で決めて、精一杯活動していました。
しかし、全く芽が出ず、日本を出るときに話をつけてきた商品の内の一つは、見切りをつけました。
もうやらないと決めた訳です。
その商品は、私が日本に居たとき勤めていた会社の商品でした。
それで、私は、もうこの商品は扱わないと連絡しました。
他にもネタが有りました。
そっちの方に専念しました。
どのようにやったかと言うと、その商品を扱っている業者に片っ端から、Direct Mailを送りました。
100数十通送りました。
その内の3社から電話が有りました。
その中の1社July社(仮名)が、私のニュージーランドの仕事に大きな基礎を築くきっかけと成りました。
とても良い人で、色々と助けてくれました。
知らない事も、何でも教えてくれました。
実は、私は、その商品を今まで全く扱ったことが無く、商品知識はゼロでした。
商品の名前も知らない程でした。
お客さんにその商品の事を色々教えてもらいながら、色々オファーを出しました。
今でも彼は、私の最大のKiwiの友達です。
今は、お客さんと言うよりも個人的な付き合いのほうが強いです。
どうして、あんなに親切に助けてくれたのか、良く分かりません。
いずれにしても、幸運にもそう言う人に巡り会い、私は、仕事のたたき台が出来ました。
そして、ニュージーランドへ来て、初めての注文が取れました。
July社が注文してくれました。
しかし、これがとんでもない結果に成りました。
商品が届いて、見たら、有ってはならない事が、起こりました。
私は、とてもショックで、日本に苦情を言いましたが、話し合いと言うか、言い争いは、決裂し、私は、唯一の日本からの仕入先を斬りました。
ここと取引を止めたら、唯一の生命線を絶つことになるかも知れないと思いましたが、迷うことなく自らの意思で取引を自分から絶ちました。
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