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当ページの設置日 : 平成15年08月25日(月)
ニュージーランドへの道(視察編)
Milfordに居た頃 家の近くの渚から見たランギトット島
1996年12月のボーナス直前に私は、会社に辞表を提出しました。  普通、ボーナスをもらってから辞表を出しますが、私はいつも逆をやってきました。  本来、ボーナスは過去半年の労働に対する一時金として出されるのですから、ボーナスをもらってから辞めるのは何も、卑怯な行為ではないのですが、どうも私の場合は、それが潔くないような感じがするため敢えて痛みを伴うやり方を通してきました。  しかし、結局ボーナスはもらいました。
辞表を提出するときに、私はその会社の社長に言いました。  辞職実行時期は会社の都合に合わせて、引継ぎを十分に済ませるまで、留まるのは構わないと。  そう言う事で、私は結局3月末で、退社しました。  ボーナスと退職金をしっかりもらってしまいました。  良い社長でした。  私をかわいがってくれましたが、十分にお役に立てなかった事を、申し訳なく思いました。  辞表を提出してから、実際に辞めるまで、私は仕事の合間を見ては、会社の近くのJetro(日本貿易振興会)へ行き、NZの事を色々調べていました。
Milfordの家に居た頃の近くの浜辺のパームツリー 日本名は、蘇鉄?
永住権は取れるかどうか、最初行ってから誰に会ったら良いか、どういう会社があるか等・・・。  会社を辞めた後、自由になった気持ちが堪らなく嬉しく、数日は遊んで過ごしました。  子供が学校へ行くとき、一緒にグランドまで付いて行ったりもしました。  そして、4月の初め、私は生まれて初めてNZに来ました。  その時まで、世界の色々な国と取引があり、また、色々な国へ行った事も有ったのですが、NZへは来た事もなく知り合いも皆無、全く未知の世界でした。
しかし、日本に居たときに事前に連絡を取っていた、ビジネスコンサルタントを訪問し、色々聞きました。  そのコンサルタント会社に、会社の設立登録を依頼し、銀行を紹介してもらい口座も作りました。  今考えると、会社設立に随分と高いお金を払ったものだと思いますが、西も東も分からない状態だったので致し方有りませんでした。  そのコンサルタント会社とは、その後時々何かを聞くと言うことはありましたが、その後はつながりがなくなりました。
日本とのつながりが私の生命線でした。  日本人である事、ただそれだけで、私は世界の有名ブランドを生まれながらにして与えられて居ると言う、意識がありました。  日本人であると言う事、ただそれだけで、世界ではある程度信用を得られます。  私は、NZへ来る前に、2つの日本の会社と話を通していました。  ひとつは、その時まで、勤めていた会社の取り扱い品目をNZで売ること。  もうひとつは、私にNZの事を話してくれた、会社でした。  そして、NZへ来て、電話帳などで色んな会社を調べて、訪問しました。  そして、その中で私は実感しました。  もう自分一人だけの力で生きていかなければならないと・・・。
会社に勤めていたとき海外出張したならば、良いホテルに泊まって、立派なオフィスへ通されて、美味しい食事をしていました。  しかし、もうそんな事は全くありませんでした。
ニュージーランドの蜥蜴、トゥアタラです。乳製品のブランドにもなっています
それとは、全く逆に、汚い会社を訪問し、安いホテルに泊まり、食事代はぎりぎり節約しました。  約10日間、オークランドに滞在し、日本へ帰りました。  そして、資金調達の為の作業に入りました。  国民金融公庫へ『独立開業資金』を融資してもらうため、色々な書類を用意し、なんだかんだと色々やって、連帯保証人として2人にお願いして、融資をしてもらいました。  かなり苦しい作業でした。  生まれて初めての、資金調達と言う慣れない事でしたが、これを乗り越えないと、前に進むことが出来ないため、必死でした。  特に、保証人を引き受けてくれる人は、居るだろうかという事と、実際にお願いすると言う事は、辛いことでしたが何とか乗り越えました。
それと同時進行で、NZの永住権取得申請手続きに必要な書類を色々揃えました。  これも、かなり労力の要る作業でした。  大学へ連絡したり、今まで勤めていた会社に連絡したり、健康診断をしたり、翻訳会社を探して戸籍謄本を英訳してもらったり(自分で翻訳したのは認められません)、警察へ行き犯罪暦証明書を発行してもらったり、結構大変でした。  これら2つの大きな壁(融資と永住権申請)を乗り越えるのに約4ヶ月を要しその間、私は焦りました。  早くNZへ行かなければならないと言う思いと、このまま時間を費やしていくだけで、毎日お金が出て行くと言う強迫観念で、寝ていて胸がどきどきすることも度々でした。  しかし、その作業も遂に済み、融資も降りました。  ようやく、準備が出来て、NZへ乗り込む時が来ました。