ニュージーランドドリーム
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当ページの設置日 : 平成16年08月01日(日)
ニュージーランドへの道(結実編)
前回の「痛恨編」の自動車事故の補足ですが、相手の車に対しての賠償金が$2,000も発生し、合計約$5,000~!!
そんな時、或るE-mailが来ました。  ニュージーランドへある商品を輸出したいと言う業者で、積極的でした。  私は、肯定的に検討したい意思を相手に伝えました。  海外の経験は無い人でしたが、度胸のある人でした。  普通、海外との取引の経験が無ければ、とてもとても怖がります。  そんなに怖がっていたら、何も出来ないべさ~ っと思うくらい、皆さん、本当に良く怖がります。  心配ばかりして、何も出来ないと言うタイプの人は、とても多いです。  しかし、何故か、海外と貿易はしたいと思うようです。  それもリスク無しにです。  そんな虫の良い話があるなら、教えて欲しい。
しかし、彼は、違いました。  度胸があるし、リスクが有る事は、当たり前と言う常識を持ち、その上で積極的に決断するタイプでした。  当初は、中々価格が合いませんでしたが、粘り強くやっているうちに、又、July社が注文をくれました。  今度こそは、大丈夫でした。  それは、私がニュージーランドへ来てから、約半年後の事でした。  後は、どんどん売るだけでした。
1998年の2月にこの業者と取引が始まりました。  最初の仕事の規模は、ほんのわずかでしたが、注文は、徐々に増えていきました。  当初、私をとても良く支えてくれた、July社のみに頼っていましたが、それだけでは限りがあるので、彼に紹介して貰った会社にも売ったり、飛び込みや電話でも売り込み活動を盛んにしました。  私の尤も苦手な分野でしたが、誠意を持って当ればお客さんは、信用してくれると言う信念の元、徐々にお客さんも増えていきました。  信用も実績も出来てきました。  販売は、かなり調子よく増え続けました。
Maraetaiの海
ニュージーランドへ来てから1年後には、それなりに軌道に乗っていました。  長く孤独な闘いでしたが、自分のやってきた事はそれなりに成果として、現れたと言う気持ちでした。  遂にこの日が来たか!  と言う心境でした。  嬉しかったです。  その間、色々な人に助けてもらいました。  商品知識が無かったので、お客さんに聞いて教えてもらいながら、憶えていきました。  日本の仕入先もとても一生懸命やってくれました。  こう言うやり方は、日本では到底通用しませんが、Kiwiはその辺は開放的で、分からない事は、分からないと率直に言えば、その姿勢を受け入れてくれます。  嘘を言ったり、誤魔化したりしてはいけないと思います。  このような素人丸出しのやり方は、日本では通用しません。  日本でこんなやり方をやったら、相手にしてもらえません。  私は、当初から西洋人のそう言う性格を理解していましたので、それほど心配していませんでした。  それゆえの海外進出だったのです。  自分の構想は、実を結んだと言う思いでした。
このような状態が続く中で、永住権申請も同時にやっていました。  「筆者の永住権取得の記録」にも書いていますが、1997年の11月24日に申請が受理されました。  日本に居る間、永住権申請に必要な書類を全部揃えて居ましたが、いざ提出したら、妻の書類で足りないものがあり、それを取り寄せたりもして、受理されたのは、オークランドに来てから、2ヵ月半後でした。  永住権が降りたのは、翌年、1998年のクリスマスイヴの事でした。