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当ページの設置日 : 平成17年03月23日(水)
ニュージーランドのイースター / 日々平安
あなたは、Easter(イースター)と言う言葉を聞いた事が有ると思いますが、その意味を知っていますか?  私は、知りません。  ただ、以前何度か調べた事があります。  私の調べた範囲内で言います(調べた範囲以上の事は言いたくても言えない、何故ならそれは、知らない事だから)。  まず、Easterの邦訳(和訳)は、「復活祭」です。  何の復活を祝うかと言うとイエス・キリストの復活です。  復活とは、何かと言うと生き返ったと言う事です。  イエス・キリストは、十字架に掛けられ処刑されてから、3日後に生き返りました。  そして、12使徒 一人一人の前に現れました。  更に500人くらいの知り合いの所にも現れたと言う事です。  現れたと言う事は、死人が実際に生き返り、生きた人間として肉体を持って居たと言う意味です。
日本人は、何故か知りませんが、宗教的な現象を霊的に捉えようとする傾向があります。  聖書には、キリストが生き返ったと書いてありますから、物理現象としてそのままの意味に捉えればよいと思うのですが、日本人のキリスト教徒は、霊現象と思いたいようです。  日本人は、本当のキリスト教徒に成り得ないと良く言われますが、日本人の遺伝子の中に組み込まれている神道に深く影響されているからではないかと私は、常々思っています。  神道においては、八百万(やおよろず)の神様が我々の生活の場に肉体を持って現れたと言う話を聞いた事がありません。  ですから、神様の行いや存在を物理的な実在とは捉えないと言うか、そんな事を信じている日本人は、一人も居ません。  誰もが少なからず信仰しているが、一個もその中身を知らないし、教示も無いし、要するに何も信じていないが、その影響力は、強烈と言う不可思議な原始宗教、それが神道です。  それは、信仰と言うよりも、身体の中に滲み込んだ思考回路のようなものではないかと思います。  思考回路と言うと論理回路のようですが、神道の影響は、論理回路ではなく、情緒、或いは、感情回路です。  情緒とか感情と回路を結びつけるのは、変ですね。  でも良いでしょう?
誰も神道に影響を受けているとは思っていないでしょうが、例えば、箸やおわんや茶碗。  各家庭で、とうさん、かあさん、おにいちゃん、おねえちゃん、おとうと、妹の分がそれぞれ決まっています。  同じ家族でも他の人の箸や茶碗を使いません。  若し、万一、間違って使ったら、かなりの顰蹙(ひんしゅく)ものだと思います。  特に、とうさんがおねえちゃんの箸や茶碗を使ったら、それは、大変な大騒動になると思います。  それは、神道の穢れ(けがれ)の発想から来ているという事です。  しかし、西洋のフォークやナイフの場合は、誰の分とは決まっていません。  これは、以前私が良く読んでいた、井沢元彦の「逆説の日本史」から仕入れた知識です。  又、彼が言うには、「和」の精神も神道から来ていて、「和」の原動力は、「呪い」です。  「呪い」と「言霊」と「和」は、密接に絡み合っています。  まず「言霊」が最初にありきです。  大和言葉には、「言霊」と言う不可思議なものが含まれているようです。  それは、何かと言うと人が何か口から出して言葉で表現するとそれが現実化すると言う事です。  それが、言霊の本質です。
ですから、誰かが誰かを恨んで「呪い」の言葉を言ったらどうなるか・・・?  その呪いは、言霊により物理現象として現実化します。  それ故に、人の恨みを買って呪われない様に細心の注意を払う、それが「和」の精神になります。  古代の日本においては、呪いによる災い(わざわい)を極端に恐れました。  特に人が恨みを持ちながら、憤死した場合、その呪いは、最大レベルに達します。  その大魔王と言うべき、お方は、崇徳天皇にあらせられます。  この辺の詳しい事は、井沢元彦の「逆説の日本史」を読んでください。  これ以上、書くのが怖くなってきました。  他にも日本の歴史では、人の呪いによって、災いが度々起きています。  有名なところでは、菅原道真や長屋王です。  長屋王は、処刑され、死して藤原不比等の息子たちを全滅させたお方です。  藤原不比等は、自分の娘か孫である後の光明皇后を、聖武天皇の后になるように画策しました。  それに大反対したのが、長屋王でした。  そして、藤原一族に暗殺されました。  長屋王の死後、藤原不比等の4人の息子達は、数ヶ月の内に全員ばたばたと変死しました。  聖武天皇の后(きさき)は、光明皇后(藤原氏の出、藤原不比等の孫か娘、恐らく孫)とおっしゃるかたですが、皇族以外で初めて皇后となられた方です。  長屋王は、当時皇族以外の人間は、皇后になれないと言う慣わし(ならわし)があるので、藤原家の人間は、后になれないと大反対しました。  しかし、当時の藤原不比等の絶大な権力の前に斃れました。  聖武天皇と光明皇后の間には、お世継ぎも生まれず、病気なども続き、不安が最高レベルに達しました。  それを解消する為に建てたのが、東大寺の大仏です。  長屋王の呪いを鎮める為でした。
宮中で詩を詠むのが盛んなのは、その内容が現象化する事を願うからです。  つまり言霊の発想です。  武士が詩を詠むのとは本質的に違います。  武士のそれは、矜持です。  皇族や公家が詩を詠むのは、願掛けです。  古代においては、日本人の人の名前は、秘密とされていました。  名前を知られると呪われるかもしれないからです。  名前を知らないと呼びようも無いのでその役職名や肩書きで人を呼びました。  あなたは、会社の上司である、山田課長の事を、「山田さん」って、呼びますか?
本当に話がとんでもない方向さ、行ってしまいました。  私の好きな分野なもので、つい筆が滑らかに走ってしまいました。  つまり、このように日本人には、「穢れ」「呪い」「言霊」などと言う信仰と言うか何と言うのか知りませんが、それらが身体に滲み付いています。  それは、神道の影響です。  何故、神道の話が出たかと言うと、キリスト教のイースターです。  そうです、キリスト教においては、目に見える物理現象が起こりますが、日本人は、死者の肉体が蘇ると言う物理現象と結びつける発想が無いと言いたかっただけです。  つまり、日本人は、不可思議な現象は、全て霊的現象と思いたいようです。  キリスト教では、そうではありません。
キリストが処刑された後、棺おけから出てきて、十字架に釘で打ち付けられたその両手と両足は、穴が開いていました。  そして、12使徒の前に現れ、私が生き返った事を信じられないなら、この穴の開いた手を触ってみなさいと言っています。  つまり、明らかに生前と同じ肉体のまま、生き返ったと言う事です。  そして、キリストを見捨てた、12使徒は、その奇跡を目の当たりにして、キリストへの信仰を確信しました。  そして、キリストの復活を祝うのがイースターです。  それでは、生き返ったキリストは、今何処にいるか?  生き返ったキリストは、人々の前で空へ昇っていきました。  ですから聖書を忠実に信じるなら、キリストは、肉体を持ったまま、天国におわすと言う事になります。  霊では、ありません。
ふぅ~ 凄く前置きと言うか、能書きと言うか、かなり脱線しました。  イースターの日付は、固定されていません。  クリスマスは、12月25日と決まっていますが、イースターは、変動性を採用しています。  それでは、いつかと言うと、その目安は、春分の日(彼岸の中日 = Equinox Day)の直ぐ後の満月の後の日曜日がEasterです。  今年で言うと、2005年3月20日が春分の日(Equinox Day)で、満月は、3月25日です。  その次の日曜日は、3月27日です。  この3段論法により、今年のEaster Dayは、2005年3月27日です。  その前の金曜日をGood Friday(3月25日)と言い、その次の月曜日がEaster Monday(3月28日)です。  Good FridayとEaster MondayがEasterにとってどんな意味が有るのか知りませんが、休日と言う事だけは分かります。
さて、次にEaster Egg(イースターエッグ 復活祭の卵)です。  この由来は、私も知りません。  そこで、今日のコンピュータ講座で年配のKiwiの女性に尋ねました。  年のころは、60台半ば位かと推測します。  時々ミニスカートを履いて来ます。  彼女の説明では、古代の欧州において、土着の原始宗教からキリスト教に改宗した折にEaster Eggが食べられるようになったと言う事です。  春になると草花など何でも新しく生まれる。  卵は、新しい命が生まれる象徴としてEasterに食べられたと言う事です。  それと、土着の原始宗教も完全に切り捨てないで、何らかの形で残す目的もあったと言う事です。  土着の原始宗教が卵でどのように守られるのか、それは、分かりません。  信憑性の程は、分かりません。  すると私とKiwiのおばさんのこの会話を聞いていた、Romaniaの男性が、こう言いました。  キリストが処刑された十字架の下に卵が沢山入った籠が置かれていた。  その卵の上にキリストの血が滴り(したたり)落ちた。  それとEaster Eggと関係有ると言うことです。
するとこの話を聞くとも無く聞いていた、30代半ば位のKiwiの女性が、えぇ~~~~っ そうなのぉ~?!  そんな事、初めて聞いたぁ~ と凄く驚いていました。  Romaniaの男性は、更に色々、キリストの話を熱心に続けていましたが、彼の隣に居た、頭に頭巾を被った、インド人風の女性(恐らくモスリン = イスラム教徒と推定)が、あぁだこうだと反論していました。  そして、クリスマスの時に食べる料理についても言っていました。  英国の習慣を踏襲しているニュージーランドでは、豚肉を食べるそうです。  昔は、羊の肉を食べたそうです。  それを聞いた、私は、えっ?!  クリスマスの時に食べるのは、七面鳥じゃないの?  と言ったら、それは、アメリカ人だべ、と言われました。  なんや~ 七面鳥は、アメリカ人だったのかい。  知らんかった。  皆さん、クリスマスの時に七面鳥を食べるのは、止めましょう。  これからは、豚にして下さい。  若し、あなたがクリスチャンならば。
【注記】
上記に書かれている内容は、私の信じている事とは全く関係ありません。  私は、ユダヤ教徒でもありませんし、キリスト教徒でもありませんし、神道を信仰しているわけでもありません。  上記の記事は、私が今まで読んだ本の内容について私の感想を述べただけで、私の信じている事ではありません。  例えば、『聖書には、キリストが生き返ったと書いてありますから、物理現象としてそのままの意味に捉えればよいと思うのですが、日本人のキリスト教徒は、霊現象と思いたいようです。』と私は、言っていますが、敬虔なクリスチャンで聖書を信じているならば、当然このように捉えてしかるべきではないかと言いたいだけです。  それと私がそれを信じているかどうかとは、別問題です。  率直に言って、私は、聖書に書かれている内容が真実かどうかは、判断付きかねます。  又、神道の「呪い」や「言霊」や「和」についても同様に、分かりません。  肯定もしないし、否定もしません。  はっきりしている事は、私は、特定の宗教を信仰している訳ではありません。  くれぐれも誤解の無いようにお願いします。
2005年03月25日(金) Good Fridayの夜